新しいことを考えることが好きな人、好きじゃない人

私は、すべての人間が新しいことを考えるのが好きなのだとずっと思ってきました。
夢があって、エキサイティング。メンバーで考えた新しいことを実践して膠着した事態をブレイクスルーした時のことを想像するだけでニヤニヤしてしまう。
それを嫌いな人なんているわけないとずっと思ってきました。

社員から新しい発想や意見が生まれてこないと悩んでいる経営者はたくさんいると思います。
生まれてこないのは経営者の責任です。
だから、経営者はすべての社員に発想や意見を生むための平等の機会を与える必要があると、そう思ってきました。

しかし、私は一つ大きな勘違いをしていたことに気づきました。

新しいことを考えることが好きじゃない人は、いる

得意不得意はありますが、ここではその問題についてではありません。
その行為をすることそれ自体に面白みを覚えない人はいる、ということです。

サッカーを見るのが面白いと思う人がいれば、面白いと思わない人がいます。
旅行が好きな人がいれば、好きじゃない人がいます。
同じように、新しいことを考えることが好きな人がいれば、ちっとも面白いと思わない人がいます。
理屈ではないのだと気づきました。

社員から新しい発想や意見が生まれてこないのは経営者の責任だと感じ、私がそういう場所を用意していないからだと思って、2つのチームを作って新事業のアイデア立案から開発、運用まですべてできるような制度を作ったことがありました。
ところが思いの外、議論が盛り上がってこない。挙句の果てに、十分なブレストもしないまま「早く決めてください」と決定を私に催促する者まで現れてきた。そここそあなた方に与えた最大の権利なんですよ、と思いながらそのとき一瞬愕然としました。。
しかし、しばし静かにこの事象を考えてみた結果、私なりの一つの結論を得るに至りました。

そこの部分を自分でやりたくない人は、いる。

とりわけ臆病なわけではない、優秀でないということでもない人が、それでも新事業を作りたがらないのは、シンプルにそれをするのが好きではないからなのだろうと。

以上の経験から、新規事業は選抜したメンバーでチームを構成するべきだ、というのが私の結論です。
すべての社員に平等に機会を与え、発想や意見を生み出すことを促進しても、やりがいを覚える人間は一握りなのです。
であれば、経営者は新しい発想や意見を生みたいと思っている社員を見出し、彼らに自由な発想とそれを生み出す環境や報酬を提供してあげることです。
そうやって、新しい発想や意見が生まれる会社にすることこそが、経営者の責任ということだと思います。